日本の金貨(大判小判)
日本の金貨(開基勝宝(かいきしょうほう))
日本における最初の金貨は「開基勝宝(かいきしょうほう)」です。
発掘された32枚は重要文化財に指定されています。
日本の金貨(慶長小判)
慶長小判とは、関が原の戦いの後、天下統一をはかった徳川家康が、全国に通用させることを目的として、慶長6年(1601年)に初めて鋳造した金貨です。
小判には、表面に額面「壱両」の極印と、金座の責任者である後藤庄三郎光次の名前(「光次」の文字)、および花押(署名)が打刻されている。
日本の金貨(慶長大判)
慶長大判は1601(慶長6)年頃から1695(元禄8)年まで鋳造されました。
この大判の重さは、ある資料館では、164.0g、寸法は長径約14.6cm、短径約8.7cmあり、金位は68%となっています。
大判は本来、贈答・献上・公納など特権身分の公私儀礼用あるいは、大規模な取引の支払いにあてるために特製された楕円形の板金です。これは正規貨幣であり、そのまま市中で通用するものでしたが、通常は小判など小額貨幣に両替されました。
また、大判の表面には、「拾両」と墨書されていますが、その「両」は44匁(165.0g)をあらわす量目の単位であり、小判の「両」が金貨の単位をあらわすのとは異なります。
日本の金貨(甲州金)
甲州金が、日本で最初の額面表示金貨です。
通用価値は重量を基準とし、額面金額として表面に打刻されていました。その額面単位は4進法・2進法により右のように定められていました。
両=約15グラム
分=1/4両
朱=1/4分
朱中=1/2朱
糸目=1/2朱中
小糸目=1/2糸目
小糸目中=1/2小糸目
日本の金貨(天正長大判)
天正長大判は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が彫金師の後藤家に命じて作らせた天正長大判は現存する世界最大の金貨です。
その長径は約17.5cm、短径は約10.2cm、表面積は約150.5cm2もあります。
天下を統一した秀吉は、全国の鉱山を直接支配し、新たに大小さまざまな金銀貨を鋳造しましたが、これは徳川幕府による貨幣統一の先駆けとなりました。
日本の金貨(万延小判金)
万延小判金は、江戸期に鋳造された小判の中でも特に小型である為、「雛小判」又は「姫小判」とも呼ばれる。
鋳造期間:万延元年~慶応3年
(1860~1867)
鋳造量 :625,050両
品位 :金547/銀426
量目 :3.30g
江戸時代の通貨(天保五両判)
天保五両判は実用的な貨幣でした。
天保五両判は量目9匁(33.8グラム)、品位は84.29%、寸法は長径8.8センチ、短径5センチで、形状は小判と同じです。
江戸時代後半の文政、天保、安政期などの小判が金の含有率50~60%であるのに対して、天保五両判は84.29%と慶長小判並みの高さでした。
江戸時代の通貨(天保五両判 中判)
一般に大判は112~165グラム、小判は3~17グラム程度です。
しかし、天保五両判は33.8グラム。他の時代を見ても、大判や小判とセットで発行された中判はなく、例外的な貨幣です。
例外的に天保五両判(中判)を発行した理由は、天保の大飢饉や大塩平八郎の乱、外国による開国の兆しに対抗した海防等の膨大な費用を、貨幣の改鋳(金の含有量を減らして出目を得る)により対応しました。
そして、関西で流通している大金よりも利便性があると判断して、天保五両判(中判)を発行したのです。
しかし、天保五両判(中判)は金の含有率(品位)が84.29と高いものの、質量が9匁と軽いため、一般の評判はあまり良くなく、天保8~14年の間にわずかの枚数(34,455枚)しか発行されませんでした。
小判のはじまり
徳川幕府は、政治の裏づけとして経済体制を確立するため全国統一の幣制を定めました。
当時、大判は日常流通することはほとんどないため、大量に流通させる必要のある小判を造りました。
大判は制作者名および花押が墨書されていました。
しかし、頻繁に流通する小判にあっては、墨書は抹消されやすいので、1600(慶長5)年以降「一両」などの金額、花押などの文字はすべて「刻印」となり、大量生産、大量流通に適したものとなりました。
日本の金貨(明治旧二十圓金貨)
明治旧二十圓金貨とは、徳川幕府瓦解後、明治新政府が近代国家確立を目的として行った貨幣改革により明治4年(1871)五月に「新貨条例」が公布され、 日本で初めて造られた円形様式貨幣です。
従来の両・分・朱の四進法を改めて、単位は円を基本として、十進法で金貨は二十円以下一円までの五種、銀貨四種、銅貨四種が制定され 別に開港場の貿易用に一円銀貨を本位貨に加えて発行しました。
明治旧二十圓金貨は、明治4年(1871)~明治30年(1897)の間に発行された金貨です。
今回、地金型として復刻した明治十年銘の「明治二十圓金貨」は、発行枚数が29枚と非常少ないため大変希少価値があり、“幻の金貨”とも呼ばれています。